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武将ミニ軍旗「筒井順慶」(梅鉢紋)
■ポールサイズH約22cmx横棒長さ12.5cm
■旗本体サイズ約H11.5cmxW10.5cm ■旗素材:テトロン地 ■ポール:樹脂製 ■ポールはお客様組立商品 ■シルク捺染仕上 ■実際の商品は多少色が異なる場合がございます。 ※屋外用のぼり製作と同じ捺染法ですので、濡れても平気。 屋外でもお使いいただけます。 ※シルク印刷仕上ですので、ウラもバッチリ透けてます。 ※ポールなしの旗だけのご注文もOK!オプションでお選び下さい。 ◎武将メモ:大和の戦国大名・筒井順昭の子として生まれた。天文19年(1550年)、父が病死したため、わずか2歳で家督を継ぐこととなる。元亀元年11月1日、順慶は明智光秀と佐久間信盛の斡旋をもってして信長に臣従し、その支援を得ることで大和における所領を守った。臣従後、順慶は信長傘下として主に一向一揆討伐などに参戦して活躍した。天正10年(1582年)、明智光秀が織田信長を討ち取った本能寺の変が起こった。光秀は親密な関係にあった順慶の加勢を期待して、洞ヶ峠に布陣し順慶の動静を見守ったが、順慶は静観の態度を貫徹した。結局光秀は13日に山崎で秀吉と刃を交えて敗死した(山崎の戦い)。織田家の後継者を選別する清洲会議が実施され、順慶は他の武将達と共に列席している。光秀死後は秀吉の家臣となり、大和国の所領は安堵された。天正12年(1584年)頃から、胃痛を訴え床に臥していたが、小牧・長久手の戦いに際して出陣を促され、病気をおして伊勢・美濃へ転戦。この無理がたたったのか、大和に帰還して程なく、36歳の若さで病死した。筒井家は定次が継いだ。
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