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武将ミニのぼり「藤堂高虎」
■ポールサイズH36.5cmx横棒長さ12.5cm
■旗本体サイズ約H27cmxW6cm ■旗素材:テトロン地 ■ポール:樹脂製 ■ポールはお客様組立商品 ■シルク捺染仕上 ■実際の商品は多少色が異なる場合がございます。 ※屋外用のぼり製作と同じ捺染法ですので、濡れても平気。 屋外でもお使いいただけます。 ※シルク印刷仕上ですので、ウラもバッチリ透けてます。 ※ポールなしの旗だけのご注文もOK!オプションでお選び下さい。 ◎武将メモ:藤堂 高虎(とうどう たかとら)は、戦国時代から安土桃山時代、江戸時代前期にかけての武将・大名。伊予今治藩主。後に伊勢津藩の初代藩主となる。藤堂家宗家初代。はじめ近江の戦国大名・浅井長政の家臣として仕え、元亀元年(1570年)の姉川の戦いに参戦して武功を挙げ、長政から感状を受ける。天正4年(1576年)に羽柴秀長(豊臣秀長)に仕えて3000石の所領を与えられた。秀長のもとでは中国征伐、賤ヶ岳の戦いなどに従軍する。賤ヶ岳の戦いで抜群の戦功を挙げたため、2,000石を加増された。のちに秀吉から5,000石をさらに加増され、1万石の大名となる。慶長5年(1600年)、上杉景勝が家康に対して挙兵すると、家康による会津征伐に軍勢を率いて従軍する。そして石田三成ら西軍が挙兵すると、高虎は家康の東軍に従って織田秀信が守る岐阜城攻めに参戦し、9月15日の関ヶ原本戦にも参加、大谷吉継隊と死闘を演じた。家康没後は秀忠に仕え、晩年には眼病を患って失明している。寛永7年(1630年)10月5日に死去。享年75。
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