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武将ミニのぼり「酒井忠次」
■ポールサイズH36.5cmx横棒長さ12.5cm
■旗本体サイズ約H27cmxW6cm ■旗素材:テトロン地 ■ポール:樹脂製 ■ポールはお客様組立商品 ■シルク捺染仕上 ■実際の商品は多少色が異なる場合がございます。 ※屋外用のぼり製作と同じ捺染法ですので、濡れても平気。 屋外でもお使いいただけます。 ※シルク印刷仕上ですので、ウラもバッチリ透けてます。 ※ポールなしの旗だけのご注文もOK!オプションでお選び下さい。 ◎武将メモ:酒井 忠次(さかい ただつぐ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての三河の武将で徳川氏の家臣である。大永7年(1527年)、徳川氏の前身である松平氏の譜代家臣の酒井忠親の子として三河井田城内で生まれる。元亀元年(1570年)の姉川の戦い、元亀3年(1572年)の三方ヶ原の戦い、天正3年(1575年)の長篠の戦いなどに参加し、戦功を立てている。特に長篠の戦いでは、別働隊を率いて武田勝頼の背後にあった鳶巣山砦を陥落させ、勝頼の叔父河窪信実らを討ち取る大功を挙げている。以後も家康の重臣として仕え、天正10年(1582年)に起きた本能寺の変の直後、岡崎に戻った家康が明智光秀を討とうとした際には先陣を務めたという。また、天正壬午の乱、天正天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いにも出陣するなど、家康の主な戦いには全て参加している。天正16年(1588年)、長男家次に家督を譲って隠居する。慶長元年(1596年)10月28日、京都で死去した。享年70。
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