|
武将ミニのぼり「高山右近」
■ポールサイズH36.5cmx横棒長さ12.5cm
■旗本体サイズ約H27cmxW6cm ■旗素材:テトロン地 ■ポール:樹脂製 ■ポールはお客様組立商品 ■シルク捺染仕上 ■実際の商品は多少色が異なる場合がございます。 ※屋外用のぼり製作と同じ捺染法ですので、濡れても平気。 屋外でもお使いいただけます。 ※シルク印刷仕上ですので、ウラもバッチリ透けてます。 ※ポールなしの旗だけのご注文もOK!オプションでお選び下さい。 ◎武将メモ:高山 右近(たかやま うこん)は、安土桃山時代、江戸時代の武将。代表的なキリシタン大名として知られる。高山氏は摂津国三島郡高山庄(現在の大阪府豊能郡豊能町高山)出身の国人領主である。天正10年(1582年)6月に本能寺の変で信長が没すると、明智光秀は右近の協力を期待していたようだが、右近は高槻に戻ると秀吉の幕下にかけつけた。まもなく起こった山崎の戦いでは先鋒を務め、中川清秀、池田恒興と共に奮戦、明智光秀を敗走させ、清洲会議でその功を認められて加増された。バテレン追放令が秀吉によって施行されると右近は信仰を守ることと引き換えに領地と財産をすべて捨てることを選び、世間を驚かせた。慶長19年(1614年)、加賀で暮らしていた右近はキリシタン追放令を受けて、人々の引きとめる中、加賀を退去した。右近はマニラでスペイン人のフィリピン総督、フアン・デ・シルバらから大歓迎を受けた。しかし、船旅の疲れや慣れない気候のため62歳の右近はすぐに病を得て、翌年の2月4日に息を引き取った。64歳。
|